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私のブログにしては、ちょっと過激なタイトルかもしれませんが、、、最近、色んな人と話をしていく中で、意識している事があるのです。


それは、” 死を意識した事がある人は、人生の本当の楽しみ方を知る事ができる”という事です。


なぜ、こんな事を思ったのかという事は、後程、説明したいと思いますが、、、


私はこれまで、様々なビジネス書を読んできました。そして、多くの成功者の言葉に、人生の有限性について語られている事が多々あります。


人生は、この記事を書いている時にも、一秒、一分と過ぎています。


人生はあたりまえですが、有限です。永遠ではありません。


だから人は儚いですし、輝く事ができるのだと思っています。多くの成功者は、人生の残り時間を感じて、真剣に生きています。


世の中には、惰性的に生きている人もいれば、日々、悔いを残さないように頑張って生きている人もいます。


あなたはどちらの人生を送っているでしょうか?


今日のテーマを書こうと思った理由は、冒頭に戻り、私自身の話になります。


実を言うと、私は成人するまで、すごいネガティブ野郎でした。これを実際に出会った人に話すると、ほとんど信じてもらえません。


まぁ、今は日々、エネルギー全開で生きていますから(笑)。


実は、私は子供の頃から病気と闘って生きてきました。親から聞いた話ですが、3歳で小児ぜんそくを患いました。そして、ぜんそくを患いながら、小学校5年のときに、ネフローゼ症候群にかかります。


そこから私の地獄の生活が始まります。


ぜんそくの経験がある方はわかると思いますが、夜中に突然、発作で目が覚める事があります。とても寝れる状態ではないので、親に近所の病院に自転車をこいで連れて行ってもらい、吸入器で症状を抑えます。


子供の頃、貧乏だったのは誰が見てもわかる状態でしたが、母親に真夜中、私を乗せて自転車こぎながら、をこんな事を言われました。


「おまえのせいで、貧乏なんだよ!」


子供ながら、この言葉は今でも私の心の深くに刻み込まれています。


当時、貧乏家庭で同じ部屋に家族で寝ていたので、私の「ぴゅーぴゅー」という呼吸の音で家族が熟睡できないので、母親が深夜であっても、私を近くの町医者に連れて行ってくれました。日中でも、ひどい運動をすると発作が起きる事がありました。


母親にも、当時、発作が起きる度に開けてくれた近所の町医者の先生には、とても感謝しています。


そして、それに重なって、ネフローゼ症候群にかかります。


まず、この病気にかかると、入院が必要になります。そこから、子供には耐えがたい入院生活が始まります。


食事は、食塩がほとんど使われないので、味がまったくなく、美味しくありません。そして、水分も一日300mlと決められます。これは、体に水分溜まるからなんですが、、、この量だと、薬を飲むだけで精いっぱいになります。


当時は、プレドニンと漢方といくつかの薬を飲んでいましたが、とても水が足りないので、唾で薬を飲んでいました。
 

そして、運動も一切禁止されます。歩くのも禁止です。そして、定期的に献血もされます。


こんな生活が約2か月続きます。そして、薬の副作用で顔がパンパンに腫れます。おそらく、思春期のお子さんには辛いことだと思います。私もとても辛い思いをしました。


私は青春時代を、ぜんそくと腎臓病と闘う日々を過ごしました。その時に、ある若い男性の医者が主治医になります。


その医者に、「もし再発したら、君の病気は一生治らないよ。」と言われます。


おそらくその医者は、私に病気を意識した生活をさせる為に言ったのだと思います。私は、当時、再発なんてしないと、子供の考えで、友達と一緒に激しい運動をしたり、食事も全く気にせず、好きなものを食べていました。


その日々の、怠惰な生活がたたり、小学6年生のある日、習慣でやっている試験キットで、尿にタンパクが出ている事に気が付きます。


尿検査して、カラーが黄色だったらOKなんですが、ある日調べたら、濃いグリーン(NG)になっていました。子供ながら、事実を受け入れられなくて(再発したら、一生治らない)、親に黙っていました。


しかし、父親が私の顔のむくみに気づき、母親が私に詰め寄り、私も再発したことを告白します。


そして、次の日、地元の日赤に診察に行きました。そして、先生に母親は、”もし、明日来ていたら死んでた”と言われたと、私に怒りました。


私は入院が決まり、もう人生が終わった(これからずっと味のない食事、運動できない、献血など)と思い、自殺しようと思いました。


そして、”死んでやる!!”と病室で泣き叫んでいました。


母親は、私の対処に困っている最中、同じ病室にいたおじさんが、”ぼく、そんなにお母さんを困らせたらいけないよ。ぼくの病気は治るから大丈夫だよ。だって、ぼくと同じ病気だったカープの小早川選手も、今は立派に生きているんだよ”とやさしく話してくれました。


その言葉を聞いて、すごく安心したのを憶えています。


人生で死を意識したのは、それが最初で最後でした。その後も、何度か再発しましたが、今は、幸い、腎臓病も再発することなく、喘息もよっぽどの事がないと起きないので、とても幸せな人生を送れています。


長くなってしまいましたが、私は今の自分があるのも、若い時に色々と辛い思いをしたからこそ、人生を充実したものにしたいと考えるようになりました。


特に、私の場合は、人生の一番楽しい時期(青春時代)を病気と過ごしてきました。もちろん、学生時代は、いい友人もいたので、辛いだけの人生ではありませでしたが、運動もろくにできず、入退院を繰り返す日々は、決して幸せではありませんでした。


書くと長くなるので言えませんが、家庭環境もめちゃくちゃでした。でも、私をよくしてくれる姉がいたり、社会に出てから出会った友人が、私を変えてくれました。


こんな経験をしているからこそ、私は、一般的な考え方とは別の行動力を持つことができたのだとも思います。そう考えると、若い時の苦労は、今の私を作る為の試練だったのだと思います。


今、職場で、やる気もなく仕事をしている若い社員が結構います。その悲しい光景を見た時に、私の経験した事は、人生に対する危機感を与えてくれたから、人生を無駄にしない為に頑張れた原動力になったと感じています。
 

人生は一度しかありません。そして、今の五体満足の自分がいかに幸せかを知る事が、自分を変えるきっかけになるかもしれません。


人生を変えるきっかけに、いつしか、このブログがなれたら幸いです。